厄年は長い間の体験に基づいた生活の知恵ともいえます。
厄年のルーツを探ってみると、その起源は中国の陰陽道にあるのです。
陰陽道というのは、天文・暦数・卜筮(ぼくぜい)などの知識を用いて吉凶・禍福を占う方術のことです。
平安時代には、陰陽道をもとに日時や方位の吉凶が定められるようになり、それと同時に災いを招きやすい年である厄年ができたと云われています。
源氏物語で藤壷が37歳の歳に厄にあたり心労するさまが述べられているほか、平安時代に書かれた日本最古の続き物語である
「宇津保物語(空穂物語と書くこともある)にも「左大臣どののやく年におはするとて...」と、厄年についての話が登場します。
ただし現在の「女の厄年は19歳、33歳、37歳」というのが定着したのは江戸時代になってからのことです。
当時の百科事典である「和漢三才図会」には、7歳から始まって9を加えた年が厄年と書かれた後に、「いまは俗に男25、42、61、女19、33、37、男は42をもって女は33をもって大厄となす。
其のよってくる所を知らず、男42の前年を前厄、翌年を挑厄(はねやく)といい、前後3年を忌む」というただし書が載っています。
現在でも、前厄、本厄、後厄と、大厄は3年を用心期間としている所以です。
また、よく33歳は”散々”に、42歳は”死に”に通じると言われますが、これは単なる語呂合わせの迷信にすぎません。
国学院大学教授の三橋 健氏は「厄年というのは、人生の節目のあたる年。
その年は肉体的にも精神的にも変り目の年だから気をつけなければいけませんよ。という警告であって、いわば
長い間に培われてきた生活文化なんです。だから決して迷信ではないし、逆にこれほど確なものはない。」と述べられています。
確かに女性の32歳前後は乳ガンと子宮ガンの発生率が高くなってくる年齢です。
気をつけるに越したことはありませんね。^^
平安時代は貴族たちの間で毎年のように厄払いが行われていました。
その後、江戸時代に入って厄の風習が民間に定着すると、神社やお寺で厄払いをするのが流行りになり、人間の一生が安定してきた現代では、一世一代の仕事と対応するときの成人儀礼の一種として流行しています。(国際日本文化研究センター教授、小松和彦氏談)
つまり平安時代が第一次厄払いブームだとすれば、江戸時代は第二次厄払いブーム。
そしてまさに今、現代にあっては第三次厄払いブームを迎えている真っ最中とも云えます。
迷信といわれればそれまでですが、仏滅の日に結婚するのを避けるのと同じように、厄払いもやらないよりはやったほうがよいに違いないと思いませんか?
生活の知恵とでも、保険とでも、伝統行事とでも、縁起担ぎとでも、理由は何でもいいのですが、やってて良かった厄祓いと、後で悔いのないようにしたいものです。
神社やお寺の行ってお祓いをしてもらうのが一般的ですが、大勢の人を家に招いてご馳走をしたり、
節分の日の夜に豆の包みを四つ辻に落したり、豆まきの鬼の役をして豆を宛てられたり、
さまざまな厄払いの方法が、長い歴史とともにあります。
町内会や寄り合いの役を引き受ければ、厄除けになるとか、女は厄年に子供を産むと、厄除けになるとも云われます。
これらは、要するに、節目に当る厄年には、役立ちが厄断ちになると捉えると良いでしょう。
天の機、地の利は、人の和に如かずです。
厄断ち=役立ち。
自分のできる範囲で、できることで、ちょっとした意識的振る舞い行動を執ることが、難を解除することに繋がって来ます。
陰徳あれば、陽報あり。
因果応報、作用・反作用の法則ですね。