身近な仏教用語

34:億劫(おっくう)

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「億劫」は元々仏教用語で、「非常に長い時間」を表していました。
「劫」はサンスクリット語「kalpa」の音写で、古代インドで最長の時間の単位を示します。

”一劫”の長さは、100年に一度天女が高い岩山に舞い降りてきて、羽衣で頂上の14㎞四方の岩を撫で、その摩擦によって岩山が消滅する時間、簡単に言うと「無限に近い時間」を表します。
この”一劫”の一億倍が「億劫」で、考えらないほど長い時間を指しています。

このことから、「億劫」は、「考えられないほどの時間がかかってしまい、容易でない」という意味から「時間がかかるので、面倒に感じる」という意味になりました。
「億劫」は元は「おくこう」と読まれていましたが、促音化して「おっこう」==> 「おっくう」と変化しました。

「面倒くさい」とした場合は、「非常に面倒である」を意味します。
「面倒」は「何か手続きが多かったり、その事に時間がかかるから、実行するのがわずらわしい」といった場合に使います。

一方で、「億劫」は心情を表していて、「もうそんな事をする気持ちが起きない」「気力が湧かない」といった場合に使います。

例えば、「宿題をするのは面倒だ」と言った場合は「宿題をするには手間がかかる」という意味合いになり、「宿題をするのは億劫だ」と言った場合は「宿題は手間がかかるからやる気が起きない」という意味合いになります。
他にも、「面倒な問題である」とは言いますが、「億劫な問題である」とは言いませんよね。

「面倒」は「手間がかかること」、「億劫」は「やる気が起きない」という心情を表します。
実は、この億劫な気持ちは人間の根本的な部分、本能に根差した心理であることがわかっています。

現代の社会においては、死の危険は日常生活にはさほど潜んでおりません。
しかし、太古の時代には、変化することは死の危険をはらんでいました。
また、通常の行動を逸脱する行為も、いつでも死の危険を伴っていました。

太古の時代、今現在いる場所から、一歩も動かないならば、やがて飢えや乾きで死ぬことは間違いありません。
たとえば腹が減ったので、食べ物を得るために安全が確認できていない山に入るということは危険があります。

しかし、短期的には一歩も動かないということは、通常、安全を意味します。
心理学のマズロー図にもあるように、生理的欲求が満たされてると、次に働くのが安全・安定の欲求です。

安全・安定の欲求が満たされると、人は社会的欲求を求め、人と係わって生きて行きます。
認められたい、誉められたい、理解されたい、愛し愛されたい、役に立ちたいなどの欲求ですね。

これらは、俗にいう「プライド」の要素が高く、全て人の承認を欲するものです。^^;
ここまでがサル社会で、人はその上で「真のプライド」つまり「自尊の欲求」を持つもので、この欲求は他人の承認を必要としません。

マズローの説いたのは、人の最高ランクの欲求は、自己実現の欲求であり、なりたい人間になるよう成長・進化することです。
超心理学の世界では、自己超越の欲求がさらに上にありますが、これができたらお釈迦様と同じ境地ですね。w

今がある程度満たされていて、そこに留まっていれば安全で安定してると思えば、人は変わろうとはしないものでしょう。
全ては諸行無常で移ろって行くものですから、今の安定も、安全な状態もまた変化して行きますので、変化に適応し生き残るためには行動を起こすしかないのですが。w

安全で安定であれば、人間は変化を嫌うように脳に本能をインプットしていったといわれています。
つまり、億劫とは変化を嫌う人間の学習成果でもあります。

変化を嫌うということは、つまりリスクを嫌うということです。
現代に置き換えれば、意中の人に思いを打ち明ける場合など、失敗すれば激しい失意と悲しみが予想される場合に、リスクが発生しているといえます。

あるいは、転職をしようとしたり、ダイエットを試みたりする場合にも、成功すれば成果が期待できるものの、失敗すれば一定のリスクが生じます。
そのようなとき、「億劫だな」という気持ちが湧くようにできています。

つまり、本能の側としてはリスクを予防しています。
防衛的であること、まずは生き残ることこそ本能の性質であるからです。

年齢を重ねるにつれ、億劫に感じることが増えるものです。
なぜなら、年齢を重ねたということは、それだけ生き残ったという体験を本能が学習し、その成功体験を強化していっているからです。

そのため、年齢を重ねるにつれ、新しいことは拒否するようになります。
新しい分野に挑戦をすることは少なくなりますし、習慣を変えることもむずかしくなります。

また、億劫に感じる度合が減っているともいえるでしょう。
たとえば、運動をする習慣が数十年に渡ってない人ならば、運動をしなければいけないから億劫だ、と感じるまでもなく、一日中家でごろごろする生活を無条件に肯定してしまいます。

そして、ゴミ箱にゴミを捨てにいったり、掃除機をかけたり、ポストの新聞を取りに行ったりするのが億劫になります。
運動不足などほとんどの生活習慣病には、より良く変化し、老化などに適応していく意識行動の欠如、今までの習慣を安全・安定として埋没した歪みが表れたものでしょう。

億劫な気持ちを感じることは、日常生活においても多々あることです。
しかし、億劫な気持ちをそのまま放置してしまうと、何もせずに時間が経ってしまい、何も成長しない結果を迎えます。

脳は、新しい刺激を与えることで良く働き、認知症を予防でき、歳とともに人として成長もできるものです。
億劫に感じる原因のひとつに、気持ちが落ち込んだり、くさくさしていることがあげられます。

心から満足はしていない今という境地に安住せず、日常生活の中からでも喜びや楽しみをより作り出して行くよう、意識して行動することが大事ですね。
目新しい体験をしたり、人と色んなことを話すことは、億劫がらずにすることが、プラスになり、心身の健康にもつながることになりますよ。w