仏教には「福田(ふくでん)」という言葉があることを発見しました。^^
「仏説諸徳福田経」なる教典まであったし。w
釈迦は布施の大事を説きましたが、私たちが、他に対して供養や布施の真心をつくせば、
因果の道理に狂いなしで、 功徳は、やった私たちに報われて来ます。
「福田」は「功徳や福徳を生む田」という意味の言葉で、敬って供養や布施すれば、 田
んぼが米を実らせるが如く、
福徳を生み出すことを喩えて「福田(ふくでん)」というとか。
田畑は我々の生命をつなぐ米や麦を 産み出す土地ですが、「福田」は我々の心の糧とな
る福徳(幸福)を産み出しますから、
「福田」といわれるのですね。
「八福田」というと、尊敬・供養または施しをすれば福徳を生ずる八種の田の意味で、
仏・聖人・和尚(おしょう)・阿闍梨(あじゃり)・僧・父・母・病人。
または、仏・法・僧・知法人・遠行来人・遠去人・飢餓人・病人と説かれています。
ふむ。恋人とか配偶者とか、上司とかお客様とかも書かれてないし。〔笑)
いや、待て待て。因果の道理に狂いなし。w
敬って供養や布施すれば、この8種以外にも何らかの功徳はあるのでは?(媚笑)
梵網経という経典の中には、「三福田」といわれるものが説かれていますね。
ふむふむ、 「敬田(きょうでん)」「恩田(おんでん)」「悲田(ひでん)」とか。
「敬田」とは、第一に仏の悟りを開かれた方ですが、 広くは、敬うべき徳を備えている
人々をいうようです。
なるほど、仏・法・僧の三宝のみならず、 敬うべき徳をもった人というなら、
師匠、先生、先輩、上司、目上の人や自分より出来ている人は皆そうですね。
次に「恩田」とは、ご恩を蒙った人をいいます。
恩というのは、中国では「恵み」という意味で、日本では「おかげ」という言葉にあたり
ます。
「おかげ」というのは、樹のカゲに雨露をしのぐとか、夏の暑い時、木カゲで日光をさけ
るというようなことから来た言葉ですが、
人間、生きているというだけでも恩の集積ですから、知恩、感恩、報恩ということは、仏
教ではやたらと多く言われるところですね。
恩の対象の第一は仏教ですから仏恩であり、善知識の恩、次いで親の恩、さらには自分
に良くしてくれた他の人々に対する恩になるでしょう。
これら御恩を受けた人々に対して、何らお返ししないことは、タタリなくとも、福徳はな
いわなあ。^^;
最後の「悲田」とは、苦しみ悩んでいる人を指します。
いわゆる、病人や貧窮者、また災害や災難に遭って苦しんでいる人、問題や困難に悩んで
いる人たちのことですね。
現に 悩み苦しんでいる人に布施し、助けるということは、 功徳になることは間違いない
でしょう。
梵網経の中に下記のような言葉が示されています。
「もし仏子、一切の疾病の人を見て、常に供養せんこと仏における如くにして更にことな
ることなかるべし、看病福田は第一の福田なり」
私の場合、不調や悩みに苦しんでいる方を助けるのは仕事ですから、純粋に布施や供養で
はないからなあ。w
それで膝の痛みが治りにくいのだろうか?(違っ。自爆)
つらつらおもんみるに、昔はこの「福田」の姓、好きくなかったし。w
「フクちゃん」とか「プクちゃん」と可愛く呼ばれても、嬉しかなかったし。ww
そうそう、あれは教員を辞めて自営の道に進んでから2年ほど経ってのこと。
社員研修をさせていただいた当時のニューリー株式会社の新井社長から、こう言われて自
覚を改めたのだった。^^;
「福田先生の名前は良いですね。私にとってはまさに先生は福の神ですから」
新井社長こそ、私にとって、敬田であり恩田である方でしたよ。
自分の姓名、嫌いよりも好きなほうが、何かと活躍しやすいものです。^^v
皆さんは、自分の名前、大事になさってます?^0^