身近な仏教用語

19:諸行無常

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あらゆる全てのものが不変ではなく、移ろって行く。仏教の教えの一つです。
物質も、物事も、心も、在り方も、全てのものは変わって行くものです。

釈迦は、こんな言葉を残しています。
「もし、ある聖者が居て、その教えが絶対であると説くならば、それは最早、聖者ではない。
なぜなら、己の考えに妄執しているから。
絶対というものは、絶対と言った瞬間から、絶対でなくなる。」

現代最新物理学の素粒子の不確定理論にも当てはまる定義ですね。
原子を構成する素粒子は、運動していて固定しておらず、観測者によって不確定に存在する。

道教の老師も、同じような言葉を残しています。
「道(タオ)は玄妙にしてくらく、これが道であると言うなら、それは最早、道ではない。」

二人の偉大な人類の指導者が、絶対なぞないのだよ、と言っているのです。
だから、釈迦は方便(たとえ話)で教えを説き、文字を残さなかったのです。

釈迦の教えは弟子達によって、長い歳月を経て編纂されて来ました。
行としての禅定瞑想も、釈迦の教えであり、不立文字です。
特に釈迦の説いた教えで強調されることは、執着を去れと云うことです。
移ろって往き、変わって行くものに、執着しても苦になるだけだということです。
また、全ては変わっていくのだからこそ、今在ることが尊いのだということです。

意識を澄ませて、今この時を大事にしましょう。
感謝は感謝を呼び、喜びの心は喜びを招きます。

調和の想念が調和をもたらします。
作用と反作用、類は類を集合する法則が働きます。
全ては変わって行くからこそ、私たちは進化・成長できるし、今を変えることによって未来を変えることができるのです。