身近な仏教用語

17:火宅、法華経の方便

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火宅とは、この世の中が、燃え盛る煩悩の火に迫られて、安らかに落ち着けない苦しみに満ちた世界であることを、火災に遭って焼けている家に喩えたもので、「法華経」の第三章「譬喩品」(ひゆぼん)に説かれている言葉です。

法華経は、妙法蓮華経とも、妙法華経とも呼ばれる後秦の鳩摩羅什(くまらじゅう)の漢訳が最も知られており、八巻、二十八章で構成されています。

中国では、この法華経によって天台宗が成立しました。

日本仏教では、聖徳太子が法華義琉を著し、最澄がこの法華経に基づいた天台宗を弘めて以来、法華経は日本仏教の根幹を形成し、特に日蓮によって、日蓮宗が開かれてから、法華経は諸経の王として信仰されるようになったのです。

法華経は、スペースドラマとして読んでも面白いのですが、第三章の火宅の譬えの他にも、第四章長者窮子(ちょうじゃぐうじ)の譬え、第五章三草二木の譬えなどなど、色んな例え話が載っています。

この法華経の第二章を方便品(ほうべんぼん)と云いますが、方便とは、人を真実の教えに導くため、仮にとる便宜的な手段のことを指す仏語です。

私たちは、ある目的を達成するための便宜上の手段として解釈し、「嘘も方便」などと言う言葉で使っていますね。

釈迦自身が生前、「真実というものは言葉で言い表すことはできない。
これが絶対であると説くなら、説いた瞬間からそれは絶対ではなくなる。」と語っています。
現代物理学の不確定性理論にも通じることですね。

言葉というものは、事(こと)の端(は)であり、事実全体を樹にたとえると葉っぱの一枚一枚に過ぎないものです。

人を信じるときでも、あなたはその人自体を信じていますか?
それとも、その人の言葉を信じているのですか?

人の言を用いると書いて信用。
人の言を頼ると書いて信頼。心は「ころころと流転するもの」という語源から「こころ」と言います。

諸行無常で、全ては移り変わってゆくものです。
臨機応変が適応のよき方便となります。