身近な仏教用語

13:人間2

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人は人間(じんかん)に生きるものなり。
人間関係を離れて、私達は成り立ちませんね。
そこに歓びがあり、苦痛や悩みもあります。

「人間」の文字本来の意味は、「人の住む所」「世の中」だったのでしょう。
現代の日常語として「人間」という場合、大体に於いて、「ヒト」とか「人類」を意味しています。
また、「彼は人間が出来ている。」と言う場合には、「人品」「人柄」の 意味になります。

仏典で「人間」と漢訳された原語にはどんなものがあるか見てみると、例えばマヌシヤ・ローカ(manusya-lola)という語があります。
マヌシヤは「人」、ローカは「世界」であるから、「人の世界」という意味になります。これは、社会的領域を示していますね。

存在について哲学的な思索を展開したアビダルマ仏教の教義によれば、全ての生き物は、五ないし六の存在領域に属しているとされています。
地獄・餓鬼・畜生・人・天の五つが五趣とよばれ、これに修羅を加えて六趣と謂い、これらの世界に生死をくり返すという 六道輪廻の思想が説かれたことは、よく知られていますね。

このように「人間」は、生き物の存在領域の一つなのですが、仏典の全てに、この意味 で用いられているのではありません。
例えば、「倶舎論」(くしゃろん)十一巻には、「人間五十年、下天一昼夜」という文章があります。

この「人間」の原語はヌリ(nri)で、その複数形がもちいられています。
この場合の 「人間」は、「人びと」の意味になります。

戦国時代、天下を統一した織田信長は、今川義元との桶狭間の合戦に先立って、「人間五十年、げてんの内を比ぶれば、夢まぼろしの如くなり」と、三度 謡いながら舞を舞ったと云われています。
この舞の「敦盛」の文句の典拠が、先の「倶舎論」なのです。

現在でも、私たちは、人生のはかなさを言う時に、「人間わずか五十年」とか「人間五十年」という言葉を口にしますが、そのもとは「倶舎論」にさかのぼるのです。

ところが「倶舎論」のこの文章は、人間の寿命が五十年しかない、と論じているので はありません。

アビダルマの教学では、「人間」は須美山(しゅみせん)の四方にある東勝身州(とうしょうしん)、南贍部州(なんせんぶ)、西牛貨州(さいごけ)、北倶盧州(ほつくる)という四つの州に住んでいる。
南贍部州は閻浮提(えんぶだい)とも呼び、私たちはここに住んでいるとされています。

北倶盧州の人は寿命が千歳、西牛貨州の人は五百、東勝身州が二百五十、南贍部州には定限がない。
世界の初めには寿命は長く、終末には十歳になってしまうといいます。

下天というのは、須弥山中腹の四方にある四天王の住む世界で、ここの一昼夜は人間界の五十年に 相当すると述べているのです。 浦島太郎の竜宮城探訪を思わせますね。

サンスクリット文献一般で、「人間」の意で用いられるのは、先に述べたマヌシヤ です。
これは「考えるもの」という意味です。「マヌ」(manu)も広く人類を指し、また人類の始祖の名でもあります。その他、マヌジャ、マーヌシヤ、プルシャ、ナラ、 ジャナなども人を意味する語です。

西洋思想において、「人間」は、自然と対立するものとして捉えられたり、神に従属するものとして把握されたりしましたが、インド思想における「人間」は、神や自然、あるいは動物などと対立的に捉えられる事がありませんでした。
神々は、人間よりもすぐれた存在であるとされましたが、人間を超越するものではなかったのです。

仏教思想も、こうしたインド思想一般の流れの中にあり、「人間」は、自分の業によって、神にも動物にも、虫けらにもなると考えられました。

インド思想も仏教思想も、総じて万物の一体観が顕著でした。
死すべきものとして、「人間」も、他の生き物と同一線上にあるとは言え、もとより「人間」はそこにとどまるものではないのです。

他の生き物と「人間」を区別したら、「人間」が、自己を限りあるもの、みじめなもの、ちっぽけな存在であることを自覚しうる能力を持ち、それがために尊厳な存在であることをも自覚しうる点にあります。

私たちは人間は、意識して考え行動して、進化・成長できる存在です。

日本人の思惟は、仏教思想の影響を受け、「人間」は、自然や動物と調和しながら、その歩みを進めてきたのです。
現今は、このような考え方は破棄され、山は限りなく開発され、海や川は汚染されるところとなってしまいました。
このまま進めば、「人間」自体が滅びざるを得ないと思います。

「人間とは何か」という根元的な問いを、あらためて問いなおさなければならない時代ですね。