日本の仏教は大乗仏教であると言われます。
大乗の原語はサンスクリット語マハー・ヤーナ(maha-yana)で、「大きな(マハー)乗り物(ヤーナ)」という意味です。
インドにおいて、従来の伝統的な仏教が非常に教理的になり、一般民衆の手の届かないものになったとき、もっと大勢の人々が救われるように、自分よりも先に他の人々を救おう、というような菩薩行を強調したのが大乗仏教の運動でした。
彼らはみずから「大乗」と称し、従来の伝統的な教説を後生大事に守っていた保守派のことを「小乗」〔ヒーナ・ヤーナhina-yana=劣れる(ヒーナ)乗り物(ヤーナ)〕といって非難したのです。
ここで注意しなければならないのは、伝統的仏教徒自身が、自分たちのことを「小乗」と呼んだわけではないということです。
彼らは彼らなりに、釈尊自身の教説を忠実に守っていると自認しているので、いわゆる小乗仏教に属するとされるセイロン、タイ、ビルマなどの仏教徒に対して、面と向かって「小乗」という言葉を使ってはなりません。
大乗仏教がいつごろ起こったか、正確なところはまだ分かっていませんが、だいたい紀元前後ではないかとされています。
また大乗仏教がどこから出てきたかもよく分かっていないのですが、一般には、小乗仏教の一派、大衆部(だいしゅぶ)(「大乗」の項参照)にその源流を求める説が有力でした。
確かに、大衆部の教説は大乗のそれに似ている場合があるのですが、大衆部から大乗が出たという確証はないのです。
また、その他にも、仏伝文学や仏搭信仰に大乗の源流を求める説も出されています。
いずれにせよ、大乗仏教は在家信者の側、一般民衆の側にウエイトをおいて出てきた仏教であるということができます。
従来の伝統的仏教は、資質のすぐれた修行僧のみが解脱するという、いわばエリートのための仏教でした。
しかも、自分の解説が目的で、他を救うということまで考えていなかったのです。
もっとも、いわゆる小乗に属するとされる部派のジャータカ文献などの仏教文学にも、自分を犠牲にして他者を救うという利他行が述べられていて、その意味で大乗の源流といい得るのですが、現実の教団の一般的趨勢としては、阿羅漢中心のエリート主義に傾いていたのでした。
これに対し、大乗仏教では、すべての人々がブッダ(覚者)になりうる素質を備えていると考えたのです。
ブッダとなりうる素質が自己に備わっていることを自覚する人々を、菩薩(ボーディ・サットヴァ)といいます。
(ジャータカなどでは、釈尊の前生を「菩薩」と呼びます。)
そういう人々は、同時に他の人々をも菩薩にして、そうしてさらに悟りを開きしめたいと願うとされます。
観音、文殊、普賢などの菩薩はすでにブッダとなる能力を備えていながら、しかも成仏しないで衆生の救済を続けていくと考えられます。
この頃になると、そういう菩薩の他にも、阿弥陀仏、弥勒仏(みろく)、薬師如来などのブッダが崇拝されるようになりました。
これらの仏・菩薩は従来の仏典には登場してこなかったのです。
我々日本人に親しい仏・菩薩の名は、大乗仏教の経典の中で 初めて現れたのでした。
そして、経典自体の崇拝も盛んになったのです。
エリートでない修行僧や一般の信者は、仏塔、仏、菩薩、大乗経典などの超越的な対象に、ひたすら帰依することによって救済されることを願ったのでした。
こうして大乗仏教の全盛期を迎えるわけですが、従来の伝統的仏教の諸派も依然として存続していました。
やがて、インドの大乗仏教徒の中にも、きわめて難解な空理空論に没頭するものが大勢出てきたのです。
もちろん高級な知的行為として、それはそれでよかったのですが、大多数の一般民衆の心は次第に仏教から離れ、ヒンズー教やジャイナ教のほうへ移ってしまったのです。
そのため、大乗仏教の方もヒンズー教的な考え方を採用しなければならなくなり、密教が盛んになってきました。
そして、回教徒の侵入が激しくなるにつれ、インド国内では仏教は急激に衰え、大乗仏教は中国、日本、チベットなどの外 国でのみもてはやされるようになったのです。