日本の仏教は大乗仏教の一種で、釈迦入滅後数百年経ってから、チベット、中国、朝鮮などから伝わって来たものです。
大乗とは、理想に達するための大きな乗り物の意味の仏教語で、自己の解脱だけを目的とするのではなく、すべての人間の平等な救済と成仏を説き、それが仏の真の教えの道であるとするものです。
反対の言葉が小乗ですが、それは大乗仏教から見た言葉なので、タイやビルマ、ヴェトナムなどの国の仏教徒に小乗などと言うのは、失礼なことです。
タイを例にすると、タイ人の約94%が仏教徒ですが、タイの仏教はセイロン、ビルマ、カンボジア、ラオスなどに広まったテラワーダ仏教の一種で、小乗と呼ばず、上座部仏教と呼ぶのが正しいのです。
釈迦が生前、実際に説いた教えは南インドに伝わりました。
彼ら上座部仏教の僧侶は、釈迦が直接語った言葉を重んじ、戒律と瞑想、托鉢などの修行を重んじます。
上座部仏教が、別名戒律仏教と云われるほど、戒律の占める位置は大きいものです。
例えば、タイの僧侶はパーテイモッカと呼ばれる227条の戒律を守らなければなりません。
この中でも「性交渉をもってはならない」「生き物を殺してはならない」「物を盗んではならない」「嘘をついてはならない」という四戒は、犯せば即刻僧院を追放されるほどの大罪にあたります。
このパーテイモッカには、その他、「アルコールを飲んではならない」「女性に性的な話をしてはならない」などの戒律的なものの他にも、「食べているときは話をしてはならない」などといったマナー的なものまで、事細かに規定されているのです。
だから、僧侶は大変尊敬されていて、タイの人々は寺や僧侶に寄進やお布施をする善徳な行いによって得られる功徳の多寡で、将来や来世の幸福が決定されると信じています。
また、タイ人の男性は、結婚するまでに必ず僧侶として修行することになっているのです。
タイでは、寺院は修行や信仰の場としてのみあるのではありません。
特に地方においては、寺は集会所であり、相談所であり、娯楽センターであり、病院であり、学校でもあるといった具合に、地域センターとしての役割を果たしています。
都市においても、地方から来た貧しい少年たちがサーマネーン(見習い僧)やデクワット(寺男)として寺に住みこみながら学校へ通う例が多いのです。同じ仏教と云っても、日本とタイでは、全く別の宗教と考えてもよいくらいですよ。