108と云う数を聞いて、多くの人は除夜の鐘を連想することでしょう。
108と云う数は、仏教では人間の煩悩の数であり、梵鐘をこの回数撞いたり、モクゲンジの種子を貫き通した数珠(じゅず、ずず)の珠の数をこの数にして擦ったり繰ったりして、煩悩の消滅を願うものです。
煩悩とは、苦悩や心痛の意味を表す仏教語で、心身を悩まし苦しめ、煩わせ、けがす精神作用を指す言葉です。
ことわざに曰く、「煩悩の犬は追えども去らず。」
煩悩は人に付きまとって、飼い犬がまといつくように離れることがありません。
また、「煩悩あれば菩提あり。」と云って、迷いがあるからこそ、悟りを開くことができるのです。
「煩悩即菩提」と云う仏語は、煩悩にとらわれている姿も、その本体は真実不変の真如、しなわち菩提(悟り)であって、煩悩と菩提は別のものではないと云う意味を表します。
精神作用や苦楽の状態から見ると、とても別物には思えませんが、根本は同じ。
人間の精神の在り様であり、作用なのですね。 煩悩の中で代表的な貪欲「とんよく」(むさぼり)・瞋恚「しんに」(いかり)・愚痴「ぐち」(おろかさ)を三毒、あるいは三垢、あるいは三不善根といって、衆生を害する悪の根本とします。
また、驕慢・疑・悪見をあわせて、根本煩悩ともいいます。
私たち衆生は、この煩悩によって業を起こし、苦報を受けて、迷界に流転すると言われます。
業は習慣の集積ととれば、また同じ過ちや間違い・失敗を繰り返すマイナスの習性ですので、解消・改良することが、進化・成長には不可欠の条件となります。
習慣を改良・解消するには、新しい習慣を創ることが効果的です。
新しい習慣を身に付けるためには、意識的に行動や考えを反復する以外にありません。
人間は一日10回言葉を口にし、身に付けたい行動を21日間、連続して反復すれば、脳がフォーマットされて、習慣の初期化が始まります。
古来、武芸者や宗教家が、21日間、行や参篭する意味合いはここにあります。
また、釈迦が説法と云うライブ活動をして、
「一日10回口にする言葉はやがて現実になるよ。だから、マイナスの言葉は口にしちゃダメだよ。」
などと云った言葉も、彼は文章を残さなかったけれど、教えとして中国に渡り、漢字文化として仏語になったのでしょう。
習慣は3ヶ月経てば定着し、自動的・無意識的になり、慣性の法則が働いて持続されます。
108日を連続して意識行動し続け、進化・成長のためにマイナスの習慣を解消して、成功・幸福を得る新しい習慣を身に付ければ、人生が明るく大きく開けることでしょう。