般若(はんにゃ)というと、恐ろしい形相をした鬼女の面を連想する人が多いのではないでしょうか?
しかし、どうして鬼女の面を般若と呼ぶようになったか、定かなところは分かっていません。
一説によると、奈良の般若坊という面打ちが作り始めたということで、鬼女の面が般若と呼ばれるようになったと言います。
般若はサンスクリット語プラジュニャー(prajna)、あるいはその俗語形のパンニャー(panna)の音訳です。
悟りを得る真実の智恵、存在のすべてを全体的に把捉する直観的な智恵のことです。
話は飛びますが、京都市東山区に六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)という真言宗智山派のお寺があります。
951年、悪疫が流行した際、空也上人が十一面観音像を刻んで祈祷したのに始まると謂います。
六波羅蜜寺の名称は、大乗仏教で説く六波羅蜜(ろっぱらみつ)に由来します。
波羅蜜(はらみつ)というのは、波羅蜜多(はらみった)の略で、サンスクリット語パーラミターの音訳です。
パーラミターは、一般に「彼岸(ひがん・パーラ)に到れるという意味であると解釈されますが、「最上であること」(パーラマター)というのが 本来の意味であるとする説もあります。
いずれにせよ、完全にして最上なるもの、あるいはその状態を意味します。
菩薩の修行法として、一般に六種の波羅蜜(完成)があげられています。それが六波羅蜜です。
六種の完成とは、(1)布施(ダーナ)の完成、(2)持戒(シーラ)の完成、(3)忍辱(にんにく・クシャーンティ)の完成、(4)精進(ヴィーリヤ)の完成、(5)禅定(ディヤーナ)の完成、(6)智恵(プラジュニャー)の完成です。
すなわち、第六番目の智恵の完成が般若波羅蜜(プラジュニャー・パーラミター)です。
般若波羅蜜とは、完全にして最高の智恵のことです。
布施、持戒、忍辱、精進、禅定の五波羅蜜は、方便(手段)としての実践活動に他なりません。
それに対し、般若波羅蜜は、直接悟りに結びつく別格の波羅蜜で、他の布施などの五波羅蜜を成立させる根元的な叡智なのです。
般若経という膨大な大乗経典があります。
般若経といっても、玄奘訳の『大般若波羅蜜多経』(大般若経)六百巻のように、般若部の諸経典を集大成した一大叢書もあれば、一般によく知られている『般若波羅蜜多心経』(般若心経)のように小部のものもあり、一律には論じられませんが、いずれも、菩薩の修行法としての般若波羅蜜を口をきわめて褒め称えております。
釈尊といえども、過去世にこの般若波羅蜜を修行して仏陀となったのです。
仏陀は、般若波羅蜜によってすべての事物は空(くう)である(実体がない)と如実に理解したといいます。
ここに、般若波羅蜜は空(くう)の思想と結びつくのです。