2月は28日までしかないので、明日が2月の最終日ですね。^^;
明後日からは3月に入り、3日はひな祭りです。
ひな祭りの起源は古く、中国までさかのぼります。
ホントは悲しいひな祭りの起源。^^;
昔、漢の時代の徐肇(じょちょう)という男がおり、3人の女児をもうけたにも
関わらず、3人とも3日以内に死んでしまいました。
その嘆き悲しむ様子を見た同じ村の人たちが酒を持ち、3人の女児の亡骸を清めて水葬したことに由来しているとされています。
日本に於けるひな祭りの起源は平安時代中期(約1000年前)にまでさかのぼりま
す。
その頃の人々は、三月の初めの巳の日に、上巳(じょうし)の節句と称して、無
病息災を願う祓いの行事をしていました。
陰陽師を呼んで天地の神に祈り、季節の食物を供え、また人形(ひとがた)に自
分の災厄を托して海や川に流したものです。
この上巳の節句は、古来中国の三国時代の魏より3月3日に行われるようになったと言われてい
ます。
中国では、漢初より両漢を通して行われた行事であり、官民そろって水辺に出て祓除をする行事
だったといいます。
また、平安時代の頃、上流の少女たちの間では「ひいな遊び」というものが行わ
れていました。
「ひいな」というのはお人形のことです。
紙や布などで作った人形と、御殿や、身の回りの道具をまねた玩具で遊ぶもので、
現代の「ままごと遊び」でしょう。
このことは紫式部の「源氏物語」や、清少納言の
「枕草子」にも描かれています。
長い年月の間に、こうした行事と遊びが重なり合って、現在のようなひな祭りとなっ
たようです。
上巳の節句が三月三日に定まったのは、600年ほど前の室町時代頃のことと思
われます。
しかし、この頃から安土・桃山時代にかけては、まだひな人形を飾って遊ぶ今の
ひな祭りとはかけはなれた、祓いの行事の日でした。
この日が華やかな女性のお祭りとなるのは、戦国の世が終り、世の中が平和になっ
た江戸時代からのことです。
江戸初期の寛永6年(1629)、京都御所で盛大なひな祭りが催されました。
この頃から、幕府の大奥でもひな祭りを行うようになり、やがてこの習慣は上流
から町民へ、大都市から地方へと大きく広がっていったのです。
そして江戸中期には、女性たちばかりでなく、女の赤ちゃん誕生を祝う初節句の
風習も生まれて、ひな祭りはますます盛んとなりました。
江戸市中には雛市(ひないち)が、日本橋十軒店(じゅっけんだな・いまの室町)
や浅草茅町(かやちょう・いまの浅草橋)など各所に立って大変にぎわいました。
またこの頃から附属のひな人形やひな道具の種類も多くなり、かなり贅沢なもの
が作られるようになりました。
幕府は節約政策を立てていたので、ひな人形の華美を禁じるお触れを再三出して
います。
明治に入ると、新政府は従来の節句行事を廃止して新しく祝祭日を定めました。
節句行事は一時衰えますが、しかし、長い間人々の生活に根を下ろした行事は簡
単になくなるものではなく、やがて復活します。
こうして上巳、端午、七夕など子どもに関係深いお節句は、いまも民間行事とし
て盛んに行われています。
ちなみに、雛人形は3月3日が過ぎたらすぐに片付けないと女の子の婚期が遅くな
ると言われていますが、片付ける時期は二十四節気のうちの「啓蟄(けいちつ)」
3月6日が良いとされていますよ。 w
昔、人形制作の安藤さんに聞いた話では、晴れた日に飾り、晴れた日にしまうの
が良いとか。
人形を長もちさせるためには、空気が乾いた日を選び、雨の日は避けるのが良い
そうです。
京都で3月3日に行われる「ひな祭り」行事は、上賀茂神社の桃花神事、下鴨神
社の流し雛が有名ですね。
我が家の近くの松尾大社でも「ひなまつり」神事の後で、松風苑の曲水の庭において、雅楽の調べとともに「流しビナ」の行事が
あります。
寺院でも、三十三間堂で「春桃会」が行われます。
三十三間堂の名前にちなんで「三」の重なる3月3日に法会が行われ、無料公開さ
れます。
千体観音を特設の高壇から遥拝することが出来て、華道池坊の献華式や青空説法なども行われ、3日限定の女性専用の「桃のお守り」も授与されます。
変わったところで女性にお勧めしたいのは、五条河原町にある市比賣(いちひめ)神社
の「ひいな祭り」。
市比賣神社の「ひいな祭り」は、あまり全国には知られていませんが、京都の人ぞ知る
「雛祭り」です。
ここでは他で見ることの出来ない「ひと雛」が見られます。
市比売神社は地元では「いちひめさん」と呼んで親しまれ、縁結び・子授け・女人厄除けなど、女人守護の神社です。
歴代皇后の御崇敬が篤く、現在も「皇后御祈願所」で、全国から厄年を迎えた女
性が参拝に訪れています。
「市比賣」の名は、もともと官営市場東市・西市の守護神として創建され、現在も京都
中央市場の守り神としていることに由来しています。
今でも商売・市場の守り神として全国に分社があります。
元は堀川の七条にありましたが、豊臣秀吉の時代に現在の地に移されました。
本殿は神社建築としては大変珍しく、北向きに建てられています。
これは市比賣神社が皇室守護の神社であることから、北の御所に向かって建てられてい
ると伝えられます。
市比賣神社の御祭神は、多紀理比賣之命(たぎりひめのみこと)、市寸嶋比賣之
命(いちきしまひめのみこと)、多岐都比賣之命(たぎつひめのみこと)、神大
市比賣之命(かみおおいちひめのみこと)、下光比賣之命(したてるひめのみこ
と)の5柱で、全てが女神様という日本でも珍しい神社です。
そんなことから女性の守り神とされ、良縁、子授け安産など全ての女性の悩み・お願い事にご利益があるとされています。
市比賣神社でぜひ手にしておきたいお守り、それは「おとう鈴」です。
「おとう」とはトイレのことで、古くから建物の東方にお手洗いを建てると家が
栄えるといわれていたところから「御東」とされています。
現在でも宮中では、お手洗いを「おとう」と呼んでいるそうです。w
龍彌は私のことを「おとん」と呼びますが、「便秘気味の時、おとんの顔を見る
とすぐにうんちできる。」と言うのには、釈然としません。。^^;
閑話休題(話を元に戻して)、そんなトイレの守り神が「おとう鈴」で、病や事
故を防ぎ、鈴の清々しい音で不浄を祓うとされています。
日本では家屋の全ての部屋に神が宿ると言われており、特に日常生活で最も必要な
お手洗いを清潔にして、守り神を崇めるということが大切とされているのです。
市比賣神社の「おとう鈴」は白木の台に乗せて綴じ目を手前にして祀ります。
そして一年が過ぎたらお手洗いの中で必ず割る、それが正しい祀り方とされてい
ます。w
一体2000円しますので、割るのは抵抗がありますが。^^;
神社の境内には、天之真名井(あめのまない)が有名です。
落陽の七名水の一つに数えられ、当社神宝天目椀「天之八塩(あめのやしお)」で汲
み出された「若水(わかみず)」を、歴代天皇の産湯に用いられたという伝承が残っ
ています。
現在も名水として茶会、花展・書展等に用いられる。また、絵馬を掛け、「天之
真名井」のご神水を飲んで手を合わせると、心よりの願い事が一つだけ叶うと伝
えられています。w
こじんまりとした境内の市比賣神社ですが、全ての女性の願い事を叶えるのに特化した
ような神社で、「することなすことうまくゆくご祈祷」を受けて授かる「ハッピー
カード」や、雛人形のように可愛い「姫みくじ」が有名です。
男子禁制ではないのですが、極めて女性のためにあるような京のスポットですの
で、厄除けや願いごとのある女性にはお勧めの神社です。
さて、家では特に雛は飾りませんが、本日は2月最終水曜日。w
ヤマノカミが喉を傷めて、酒焼けオンバのような声になってますので^^;生姜
を多用し、粘膜を守って免疫力を高めるような料理にしましょう。
今日のメニューは、以下の13品です。
1.ホウレンソウの摺り胡麻白和え。
2.菊菜のピーナツバター・味噌・味醂和え。
3.摺りおろし生姜と刻みオクラの麺つゆ和え。
4.アボカドと2種のチーズのアマニオイル削りカツオブシサラダ。
5.牛ロースとマイタケ・エリンギの焼き肉だれソテー。
6.近江蕪と刻み生姜の赤味噌煮。
7.ロールイカ、剥きエビ、ホワイトブナピー、エリンギ、白菜のとろみ五宝菜。
8.鶏胸肉の生ハム、湯がきブロッコリー、プチトマトの盛り合わせ、黒胡麻ド
レッシングで。
9.アジのナメロウ、好みで刻み九条ネギを添えて。
10.絹揚げのバター焼き、生姜味醂醤油掛け。
11.ヒジキ、蒸し大豆、エノキダケ、シメジ、黒ゴマの炒め煮。
12.赤身卵「どん玉」の温泉玉子、ヒマラヤの紅塩か卵用だし醤油で。
13.赤蕪の一夜漬け。