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松尾中酉祭、法輪寺十三参りの週、気の講座を控 えて水曜会

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嵐山の桜はほぼ終わりましたが、松尾大社では山吹祭の期間中で、境内や参道の3千株の山吹が咲き誇っています。
今日は松尾大社で、中酉祭(ちゅうゆうさい)が行なわれました。

卯の字は甘酒、酉の字は酒壺を意味していると言われ、古来から酒造りは「卯の日」にはじめ、「酉の日」に完了する慣わしから生まれた祭りです。
全国の醸造業者が集まって醸造完了を感謝するのが中酉祭ですが、松尾の国祭と称された4月22日の神幸祭(おいで)ほどには賑わいません。^^;
ま、参加せずとも、醸造文化に感謝して、今夜も一献傾けましょうぞ。(笑)

松尾大社といえば室町時代末期以降、日本第一酒造神とされて酒の神様で知られていますが、その起源は定かならぬ太古から松尾山の山頂付近に降臨した大山咋神(おおやまくいのかみ)を祀ったことに由来するそうです。

5世紀頃には、秦氏が松尾山の神を一族の総氏神として祀り、開拓に従事したとか。
701年(大宝元年)には文武天皇の勅命によって. 秦忌寸都理(はたのいみきのとり)が現在の場所に社殿を造営し、知満留女(ちまるめ)を斎女として神霊を社殿に移して祀りました。
その後、桓武天皇による平安京遷都のあとで、東の賀茂社とともに「東の厳神、西の猛霊」と並び称され、西の王城鎮護社に位置付けられたものです。

私は桂離宮の傍で生まれ育ったので、初詣、神幸祭(おいで)、還幸祭(おかえり)はいわば地元の年中行事でした。
中学2年から嵐山に移りましたが、ここも松尾大社の近くなので、未だ護持講の会員でもあります。^^;

引っ越し後、嵐山の実家からは早朝、深夜と法輪寺に鍛錬に出かける毎日が5年ほど続きましたが、4月13日は法輪寺の十三参りですね。
古来より、数え年十三歳に成長した男女が、成人の儀礼として法輪寺に参拝する風習がありますが、十三歳の厄難を払い、智恵を授けていただけるように虚空蔵菩薩に祈願するものです。

「難波より 十三まゐり 十三里 もらひにのほる 智恵もさまざま」の歌で知られるように、
江戸時代の中頃から京都のみならず近畿一円からのお参りが一般に広がりました。

以前は4月13日に参拝するというのが一般的だったのですが、最近は期間が広くなってお参りしやすくなりましたね。
参拝期間は、虚空蔵菩薩と縁が深い4月13日の前後1ヶ月間(3月13日から5月13日)と、秋の10月と11月です。

嵐山の中腹に位置する法輪寺も長い歴史があります。
およそ1300年前の和銅6年(713年)に、元明天皇の勅願により、僧行基が創建したのがはじまりです。
清少納言の「枕草子」では、京都の代表的な寺院として挙げられ、本尊のご利益は「今昔物語」にも描かれています。

「虚空蔵」はアーカーシャガルバ(「虚空の母胎」の意)の漢訳で、虚空蔵菩薩とは広大な宇宙のような無限の智恵と慈悲を持った菩薩という意味です。
そのため智恵や知識、記憶といった面での利益をもたらす菩薩として信仰されています。
「明けの明星」は虚空蔵菩薩の化身・象徴とされ、知恵の菩薩とも評され、人々に菩薩の知恵を授けてくれるといわれますね。

その修法「虚空蔵求聞持法」は、一定の作法に則って真言を百日間かけて百万回唱えるというものです。
これを修した行者は、あらゆる経典を記憶し、理解して忘れる事がなくなるといいますので、私も21歳の時に行じたものですが、その効果ははてさて?w
ノウボウ・アキャシャ・ギャラバヤ・オン・アリ・キャマリボリ・ソワカ。

ところで、法輪寺の十三参りには有名な禁忌事項があります。w
ご祈祷をしてもらったあとは、本殿から渡月橋までふり返らずに帰らないと、知恵を返さないといけないといわれています。

阪急電車で行った場合は、渡月橋を通らないので、どこまで振り返らずにいたらいいのか悩む方もいるかと思います。
私の実家や今の家から歩くと、渡月橋は渡りませんので、それが何か?と我関せずゑんでしたが。w

実は渡月橋ではなく、境内にある「石橋を渡ってください」という案内の立て札からすぐの石橋までというのが本来だったようです。
法輪寺以外のお寺では、大山崎の金運授けで有名な宝寺もそうですが、山門や鳥居をくぐって境内から出るまでというのが一般的ですね。

渡月橋といえば、これまた禁忌事項というか、ジンクスがありますね。
この橋を恋人達が渡っている時に振り返ると、別れると言われています。w
こういったジンクスがある場所は日本各地にみられますが、渡月橋の別れ伝説についての由来は分かっておらず、いわば都市伝説に過ぎませんわね。w

もし由来があるとすれば、平安時代の末期、平清盛の全盛時代にさかのぼるのかもしれません。
「平家にあらずんば人にあらず」とまでいわれる時代でしたが、天皇でさえ権力をほぼ持てなかった時代の頃です。

当時の高倉天皇に、「小督(こごう)の局」と呼ばれる女性の恋人ができました。
平清盛は二人の仲を引き裂き、小督の局を嵐山に追いやってしまいます。

治天の君といえども、自由恋愛の平安時代にもかかわらず、自由に恋愛することが出来なかったのですね。^^;
しかし、これであきらめきれなかった高倉天皇は、小督の局と再び会う為に、使いを嵐山に送ります。
そして、ついに渡月橋のほとりで、再開を果たすのです。

このままだったらハッピーエンドなのですが、実は、このお話には続きがあります。
再開はできたのですが、やはり、どうしても平清盛にバレてしまい、結局は二度と会うことができなかったんだそうです。

渡月橋の大堰(おおい)川(桂川)の左岸を少し上流に行くと、小督の局を弔う五輪の石塔があります。
法輪寺にも、小督の局の供養塔がありますので、哀れと思う方は手を合わせるとご利益があるかも?w
ちなみに多くの神社の神霊は、生前叶わなかった怨念を祀り上げられ、現世の祈願を叶える陰陽の理に基づくものが多いものです。

閑話休題(話を戻して)、また法輪寺では、十三参りのご祈祷後の初めての食事で、もらった知恵の箸を使用すると、知恵が身につくといわれています。
帰りにおなかが空いてどこかお店に入ったとしても、良い子は授かったお箸の存在を忘れないようにしてくださいね。w

今日は曇りで雲行きも怪しいですが、先週の木曜は最後の桜をと家から5分の松尾公園で花見をしました。
1.ここの桜も見事なもんですが、嵐山や中ノ島公園と違って、人が少ないのが良いです。^^
2.手作りの弁当を野外で食べるのもオツなものです。もちろん焼酎なども忘れずに。w
3.然るに、謎に昼から飲むとマワリが早いような?日焼けか酒焼けか不明ですが・・^^;
4.ただ、ヤマノカミは昼酒に顔を染めながらも、ご機嫌なようです。w

明日が晴れたら、松尾大社の山吹で一献傾けるのも良いですね。
14日の土曜日には4月度の気の講座がありますので、氏神様のパワーをもらって、全力でお役に立てますように。(念)
授業も、講座も、臨床も、生きものですので予めの構成通りに事は運べず、参加者に応じて臨機応変に、最も効果的なものを提示し実感してもらえればと思います。

さて、本日は4月第2週の水曜会です。
やりたいこと、やるべきことが色々とありますので、夜の支度は早々に済ませておきましょう。w
考え事は虚空蔵菩薩を念じつつ、オン・バザラ・アラタンナウ・タラク・ソワカ。

斯くして、料理の方は調いました。
5.今日のメニューは以下の品です。
1.いづみ式豚肉、モヤシ、卵のとん平、パセリ散らし。
2.京壬生菜、ニンジン、京揚げ、シメジの炊いたん。
3.小松菜、シイタケ、京揚げの煮びたし。
4.牛サーロインステーキと玉ネギのソテー。
5.豚ロース、マイタケ、エリンギタケの生姜照り焼き。
6.豚肉、シナチク、豆腐の和風餡。
7.ヒジキ、蒸し大豆、高菜漬け、煎り胡麻の和風炒め。
8.黄身の赤い「どんたま」の温泉卵、牡蠣醤油で。
9.成瀬の餃子ソーセージの湯がき焼きとブロッコリーの温サラダ合わせ。
10.合挽きミンチ、エリンギ、シメジのキノコ肉味噌、九条ネギを散らして。
11.畑菜とジャコの胡麻油炒め。
12.サバの西京焼き。